嫁がうつになりまして。~うつ病ママとその夫の記録

うつ病および統合失調症の嫁と暮らすアラフォー夫視点の日常の記録

僕は、人として何か大事な感情が欠落しているのかもしれない。

久しぶりの更新だというのに・・・
タイトルからして、うつの嫁そのものとは全く関係ない話。いや、嫁にまつわることで僕がそう思うに至ったから、全く関係ないということはないかな。まあ、何でもいいや。

ちなみにここのところ、嫁の状態については大きな変化はない。もう今年(2015年)で、嫁がうつになりまして10周年を迎えてしまう。嫁がうつから解放される日は、来るのだろうか。こればかりは何とも言えないね。

うつ嫁、母とお別れ

それはそうと、嫁の母上がお亡くなりになった。9年前にくも膜下出血で倒れ、障がい者生活となった母上。加えて、肝炎が発覚した。何故そのタイミングでの発覚かといえば、嫁の母上は病院嫌いだったらしく、検診や入院など無縁の御仁だったからだそうだ。それに、実家は長く自営業だったし、少々の不調で病院に行っている暇もなかったのだろうと推測する。なおその肝炎はガン化してしまい、不自由な身体でガンの治療もしなくてはならない日々だった。

そんな母上だが、ちょっとした骨折を機に動けなくなってしまった。それからいくらもしないうちに容体がみるみる悪化。つい少し前、いつかの笹川良一氏よろしく僕は母上を背負って実家の階段を昇ったばかり。その時は、まだ笑う余裕はあった。なお、その模様は下記リンク参照。それからひと月もしないうちに、母上は亡くなってしまった。個人的には「お疲れさまでした」と言いたい。




ところでウチの嫁は、身近な人の死に非常に敏感である。それについては、以下の過去記事に書いたので詳しくは書かない。

嫁のうつ病の遠因 嫁が”人の死”に敏感な理由 - ウチの嫁、うつ病につき

3年ほど前に僕の母が他界したが、その時はもう本当に大変だった。悲しみ(だと思う)のあまり、葬儀場で倒れてしまった。結局嫁を車椅子に乗せて参列させることが事なきを得たけれども、その後主治医の元へ直行したのは今ではいい思い出だ。よくないか。上記過去記事の内容といい、ウチの嫁は人の死、特に身近な人の死には非常に敏感なのである。なので、母上がお亡くなりになったことで発狂しやしないか甚だ心配である。これを書いている時点で嫁は実家に詰めているので詳細はわからない。

そして本題。

さて、前振りが長くなってしまったけれど、タイトルの如く僕はある種の感情が欠落しているのではないか、ということだ。今回嫁の母上がお亡くなりになったことで改めて思ったのだ。

何と表現してよいのかわからないけれど、僕は人の悲しむ場面に対しての感情がおかしい。おそらく、本当の意味で悲しみという感情を忘れてきてしまっているのではないかと思う。例えば嫁の母上がもういよいよ最後だというとき、一度顔を見せに行った。嫁や娘はギャンギャン泣いているわけだが、僕は「んん、最後のときが来たか」と思っただけである。そして母上にかけた言葉も、上にあるとおり「お疲れ様でした」というもの。どうも、涙が出るという方向に行かないのだ。もっと言えば、自分の母親が亡くなったときも、ヘナヘナになっている兄や親父に「だらしないなあ」と思ったり、とにかく身近な人の死に際して涙が出ない。娘がギャンギャン泣いていることにもらい泣きくらいはするかもしれないけれど、自分でも「俺、冷たい奴なのか?」と思うくらい冷静なので驚く。とはいえ、冠婚葬祭の場でオタオタするのもまた僕なのだが。

どうも、悲しむべきシーンにて妙に落ち着いているというのが我ながら気に入らない。人はいつかは死ぬものだし、それが親ともなれば順番なのだから当たり前だと思っている。そんな思いもあるのはわかるけれど、せめて自分の母親が昇天したときくらいはもうちょっと悲しんでもいいと思った。僕があまりに淡々としているので、嫁は僕のことをタフな奴だと勘違いしているようだ。これでもコンプレックス的な思いは抱いているんだけどなあ。

まあ、自分の子どもに先立たれたりしたら、少しはわかるのかもしれない。


今回は、自分の子とも気になるが嫁の状態がものすごく心配だ。母上については、長いこと障がい者生活およびガン治療に従事して年々弱っていたので、嫁も父上もそれなりに覚悟はできていたと思う。けれど、嫁のうつが悪化しないかどうか非常に心配だ。念のため、主治医の先生に話を通しておこうかと思っている。

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