嫁がうつになりまして。~うつ病ママとその夫の記録

うつ病および統合失調症の嫁と暮らすアラフォー夫視点の日常の記録

嫁のうつ病の遠因 嫁が”人の死”に敏感な理由

嫁がうつ病になったのは、その前からなっていたパニック障害同様、おそらく原因はひとつに特定されないと思われる。嫁の性格や考え方、それにその当時の生活環境や人間関係、仕事関係など色んな要素が絡み合って産み出された疾患なのではないかと思っている。実際、僕も嫁もうつ病についてはハッキリとした原因は知らない。

僕についてはその当時、社畜街道を驀進しており自宅には殆ど帰っていなかったから、それは今でも非常に悔やまれる。もし現在のように、「仕事そこそこ」という考え方であったならば、もしかしたら嫁がうつ病になるのを防ぐことができたかもしれない。それは今でもそう思っている。ただ、それも原因のひとつとは言えるが、おそらくそれだけではなかったのだと思う。もちろん、専門家でも医師でもないので僕にわかるはずもないのだけれど。

嫁のメンタル疾患の原因については、僕も本人もよくわからないところが多い。しかし、間違いなく遠因になっているであろうことがひとつある。それが表題のとおりで、嫁は人の死にあたり敏感で、人一倍傷つき悲しむ傾向にあるということだ。

では、どうして嫁がそれほどまでに人の死について敏感になってしまったのか。それについては、僕も嫁から昔話、つまり僕と出会う前の話ということでいくらか聞いたことがある。以前少し触れたかもしれないが、ここで主テーマとして書き出しておこうと思う。

嫁が人の死に敏感な理由

ウチの嫁には、幼馴染がいたそうだ。どうやら母親同士が友人だった関係で、幼馴染とは本当のきょうだいのようにして育ったという。ちなみにその幼馴染氏は男子で、嫁より少しばかり年上だったかと思われる。

ところが、嫁が学生確か高校生くらいの頃だったかと思うが、幼馴染が入院してしまう。うろ覚えで申し訳ないが、骨肉腫だったかと記憶している。聞いたところによれば、入院後彼はみるみる弱っていったらしい。入院当時はそこまで深刻なものではなかったらしいが、結局数ヶ月で彼は亡くなったそうだ。18歳。これは、毎年僕も彼のお墓参りに行っているので間違いない。本当にもう、これからだという年頃だ。

幼馴染の死後、その母上も精神を病んでしまったらしい。嫁の母上とも疎遠となり、音信不通になったそうだ。そしてその母上は、いつしかお亡くなりになったらしい。いつかのお墓参りのときに彼女の名前も刻まれていたからだ。どのようにして亡くなったかはわからない。ただ、それが嫁に追加でダメージを与えたのは想像にやすい。

嫁とはいえば、その時にもっとも身近で親しい人間が、まさか帰らぬ人になるとは思っていなかったようだ。その後疎遠になったこともあり、どういうわけか幼馴染が亡くなり疎遠になったのは自分のせいでもあると思っている節が見受けられる。ただ、生涯で一二を争うショックだったのは間違いなさそうだ。以来、誰か身近な人間の訃報を聞くにつけ、毎回言うわけではないがまずは幼馴染が亡くなったときのことを思い出してしまうようだ。

誰かの訃報に接すると決まって嫁は「もう誰の死も見たくない。聞きたくない。いっそ自分が死にたい」と言い出す。こうなるともう、何を言っても無駄なので、言い方は悪いが放置する。こればかりは時間に頼るしかない。現に僕の母親が亡くなったときも、1年以上ダメージを引きずっていたが、徐々に回復したからだ。ちなみに今年の正月、初めて嫁はごく普通に僕の実家を訪れ、線香をあげてくれた。やはり時間が解決(し切るとは限らないが)するということもあるんだな、と実感したときだ。

人の死の情報が嫁を最も沈んだ感情にさせる

このように、嫁はおそらく上述の経緯をたどって人の死に敏感になったものと思われる。人の訃報に接したときの嫁の崩れ方は半端ない。僕の母親が亡くなったときは一挙にうつ状態が悪化し、それが原因で嫁を極力フリーにさせる生活スタイルが生まれたほどだ。本当に何もできなくなる。幸い本当に死のうとは今はしないが、それでも「死にたい」というようなことしか言わなくなる。これは何もいいことはない。なので、できれば身近な人間にはお亡くなりになって欲しくはないが、そうもいかないな。

ちなみに、僕の昔からの腐れ縁がどうやら亡くなったらしいという情報が入った。迂闊にも僕は、それをそのまま嫁に報告してしまった。まあどうせ葬式に行かなくてはならなくなるので、いずれは話さなくてはならないわけだけれども、タイミングというものがある。今回はまずかった。嫁からすればそれほど親しいわけでもない腐れ縁君だが、それでも顔見知りの範囲の間柄なので、その彼の訃報を聞いてから、感情的に沈んだままだ。今日たまたま精神科での診療日だったのだが、相当沈んでいたらしく、入院を勧められたそうだ。

人の死というものが嫁に深いところから影響を与えるのなら、そこからどうにかする治療法を模索していかなければならないのかもしれない。今は主に対症療法メインの治療法だけども、このトラウマというべき部分をどうにかしないことには、嫁のうつ病は改善されないのかもしれない。このテーマで文章を書いていて、心底そう思った。主治医の先生は本当に親身になってくれるので非常に申し訳ない気持ちもあるのだけれど、セカンドオピニオン的なかたちで違う治療法を試すことを検討する時期にさしかかっているのかもしれない。

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