嫁がうつになりまして。~うつ病ママとその夫の記録

うつ病および統合失調症の嫁と暮らすアラフォー夫視点の日常の記録

うつ嫁と出会って20年。

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僕はかつて、日記をつけていた。高校生の頃から、結婚する前まで。このブログもそうだけど、何かを書き留めるのが好きな性質(たち)のようだ。まあ、それが活かされたことはないんだけどもw 結構恥ずかしい内容も多いので、いずれ焚書しようと思っているんだけど・・・何故かなかなかできない。まあ、そんなもんか。ブログの趣旨ではないけれど、せっかくだから嫁に出会った辺りのことを書いてみようかと思った次第さ。

日記に見る嫁との馴れ初め

で、その日記によれば、1997年9月18日。およそ20年前。当時の僕は、所謂社会人1年生。前年に大失恋をし、何とか就職するも遊びまくって自暴自棄気味な生活を送っていた。オールしてそのまま出勤するとかザラだったし、ついでに学生時代のバイトもそのまま続けていた。とにかく自分をわざと磨り減らすかのように、心のスキマを埋めるかのように、只管遊び歩いていた。そんな僕は嫁に、ウチのうつ嫁に初めて出会ったとされる。その日は雨。仕事もバイトもなくヒマだったようだ。かねてからの約束で、女友達が僕に彼女候補(当時はそうでもなかったらしい。女友達談)を紹介してくれることになった。そうして女友達が連れてきたのが、嫁だったのであった。

なお嫁に会う直前、僕は偶然、当時メチャクチャ憧れていたバイト先の店長(女:通称「おねえさん」)に遭遇。一瞬だけ寄り道して、彼女をクルマに乗せて家まで送っていくということをしていた。そのため非常にハイテンションであり、初めて僕を見た嫁の第一印象は「コイツ大丈夫か?」というものだったようだ・・・なお、僕の嫁への第一印象は、日記によれば「なんともプリチイ(ハート)」「一瞬ドキッとしたぜい」(いずれも原文ママ)というもの。キモイなあ・・・我ながら。

少し前にも書いたけれど、この時点で僕は、嫁と付き合うましてや結婚するとは思いもしなかった。失恋直後なのは女友達から聞いていたので、まあ遊び相手くらいにしか思っていなかった・・・と思う。明確に日記には書いてないけど、当時はたぶん「おねえさん」にイレ上げていたようだし。

出会いから一週間後、どうやら僕は嫁と横浜ベイブリッジへ行ったらしい。別に橋の上を歩いたわけじゃあなくって、たぶん当時よく立ち寄っていた大黒パーキングに行ったのだろう。当時はね、クルマでベイエリアをドライブするのがマイブームだったんだ。しかしこの辺は、自分でも恥ずかしいくらい「おねえさん」にデレデレな記述が目立つ。恥ずかしいことこの上ない。やっぱり、早々に焚書すべきだったか・・・

その後も数日に1回は何だか知らないけど会っていたようだ。海のそばへ出かけたり、スポーツセンターで遊んだり、洗車したり・・・どうも連日遊んでばかりの記述が目立つけど、僕は当時相当元気だったようだ。今がウソみたい・・・と思ったけれど、一方で前年の失恋を引きずっている記述も目立ち、ちょっと病んでいるような気がして怖い。

嫁とはちょいちょい会っていた記述がある割には、その内容が薄い。たぶん、恥ずかしかったのか浮かれたくなかったのか。わからないけれど、出会いから1ヶ月くらいの間に、僕はある場所で嫁に告ることになった。それは嫁の誕生日。日記に詳細がないから記憶&最近の嫁の証言を頼ると・・・確か、ちょいちょい遊んでいるうちに、「何だか付き合ってるような感じ」になってきた。曖昧なのも嫌なので、ちゃんと告白してくれ・・・嫁にそのようなことを言われた気がする。で、お台場のある場所で嫁の誕生日にそれを実行するという、極めて出来レースをやることになったかと。

いや、当時嫁は彼氏募集中で、僕が当時耳にしただけでも5人は候補がいた。嫁によれば、さらにもう何人かと遊んでいたらしいけれど。僕ですら数日に1回は会っていたから、嫁はフル回転で遊びに行っていたのだろう。そんな嫁は、夜間の大学生だった。だから、結構ヒマな時間があったりする。そんな倍率のなか、嫁からしたら僕の順位は相当低かったらしい(ハッキリ言ってくれるなあ、おい)。まあ、初対面が初対面だったからね(上述)。僕もそこまで嫁と付き合いたい感じでもなかったし、どうしてそれがくっついたのか長年不思議だった。


ちょいと話が逸れるけれど、嫁が何故僕を選んだのか。少し前に聞いてみたら、「他の人と違うことを言ったから」だそうだ。嫁は当時、長年連れ添った相手に振られたばかり。で、何人も紹介を受けて、色んな彼氏候補と遊んでいた。僕は上にあるとおり、特に最初のほうは全く候補になっていなかった。なんだけど、嫁が言うには・・・嫁が候補諸君に元カレの愚痴を言うと「そんな奴(嫁の元カレ)さっさと忘れろ」「自分の方がいい男だ」と言う人間ばっかりだったそうな。ところが僕は、(全く記憶にないんだけど)「好きになった相手を悪く言うな」「いい思い出だってたくさんあったろう」的なことを嫁に言ったらしい。あまりピンと来ないけれど、それが決め手なんだと。そんなこと言ったかなあ? 今でもハッキリ覚えていると言うので、たぶんそうなんだろうな。特にガッツいていなかった僕の、無欲の勝利と言ったところか。以上余談。


かくして嫁とお付き合いすることになったわけで、僕の自暴自棄気味の生活はおとなしくなったようだ。まあ直後は、まだ彼氏候補諸君のうち数人と会っていたらしく、僕の地位は決して安定していなかったようだけども。

ちなみに初デートは浅草。これは、僕の趣味だね。浅草とか銀座とか、大正浪漫溢れる場所がお好みだからね。この当時、次彼女が出来たら一発目は浅草に行こうと決めていたのは覚えている。その数日後には僕の誕生日が来て、どうやら森林公園(埼玉県東松山市)でノンビリ過ごしたようだ。

そこから数ヶ月は、やっぱり嫁は長年一緒にいた相手を忘れることができず、僕との関係も微妙だったようだ。「付き合って3ヶ月まではキスしない」とか、恥ずかしいことこの上ない約束ごとなんかも記述されている。どうやら、僕の誠意大将軍を試されていたようだ。一方僕は、付き合って1ヶ月もしないうちに嫁にベタ惚れしていた模様。おいおい、もう「おねえさん」はいいのかい? 我ながらゲンキンな奴だ。なお日記によれば、付き合って1ヶ月で初キスに漕ぎ着けた模様。3ヶ月じゃあなかったのかい・・・もっとも、決めた期間より早く済ませたことに葛藤していた模様。めんどくさいなあ、僕って奴は。

どうやら、当初僕の存在は嫁の両親に秘密だったらしい(なお嫁の両親との初対面は、付き合いだして1年半くらい後。初対面で所謂「娘さんを下さい」をすることになる)。どうも、嫁の元カレや親しい男友達が出来た人間ばっかりらしく、僕を見せたら大反対されると思ったんだろうな。現に、未だにお義父さんにはイマイチ受けが悪いからね。僕なりに真面目にやっているんだけどね。こればっかりは、まあしょうがないね。なお、僕の方は早々に嫁を親に紹介したようだ。ウチの母親と嫁が酒を呑んだという記述もあるし。

僕がそんな頼りない存在のせいか、いつ嫁と別れてもおかしくない不安定な環境で、僕はしょっちゅうその不安を日記に綴っている。自分のことを「嫁の2番手」「2番人気」などと表現している。ああ、当時競馬にハマッていたもんで。まあ成り行きで付き合ってみたものの、嫁の方もまだ気持ちに区切りがついていなかったものと思われる。

そうして過ごして20年

その後何とか嫁と付き合い続け、2年後に結婚して今に至る。どうやらプロポーズの言葉は「嫁さんになってください」だった模様・・・なんだけど、嫁によればそれは「僕と結婚してください」というオーソドックスなモノだったとのこと。まあ、どっちにしろ、言わされた感満載の言葉だねw

思えば僕は、嫁に会うまで恋愛は長続きしない野郎だった。最長でも、3ヶ月とかしか付き合ったことないんじゃあないかな。なので、馴れ初めもそうだしこんな僕なので、まさかこんなに続くとは思わなかったなあ。今でも信じられないくらいだ。久しぶりに日記を参照したけれど、これでも嫁との付き合い始めはかなり不安定だったみたいだし、よく続いたなあ・・・

そして20年後。当時からは想像もつかない危機的状況に直面しているような気がする。嫁が病気になったのはどうでもいい。人間だし、たまたまメンタルをたまたま嫁が病んだだけのことだから。それに僕は、形式的なはずの結婚式での誓い「病めるときも」というのを遵守している。知り合いにも、嫁や彼女が病気になったからといって捨てるような奴もいる。けど、僕は嫁を捨てられないんだろうな。これ以上、嫁が何かやらかしたらどうしよう? 今でも大いに不安だけども、たぶん捨てられないんだろうなあ・・・僕はどうやら、要らぬ苦労を背負い込むのが好きらしい・・・

まあ、今年は出会って20年ということで、何か記念行事でもやろうと思っている。10周年の2007年は、嫁が病気したり僕が転職間もなかったり子どもが小さかったりで、日常生活がバタバタしていて余裕がなかった。だから、これといって何もしていない。僕はその後悔がちょっぴりあった。それだけに、20年記念は何かできたらいいなあ・・・と考えている。嫁はどう思っているかな。ここ10年は、思い返して後悔の嵐。嫁には罪滅ぼしの意味も込めて、何かプライスレスなものを贈ってやれたら、と思う。上述のとおり、嫁と付き合い始めた日は嫁の誕生日でもあるからねえ。まずは、これ以上嫌なことが起きないことを祈ろうじゃあないか。僕はいい加減、正常でいられる自信がかなりない・・・


以上、テーマと関係ないことをダラダラと3000文字以上に亘って述べてしまった。駄文、駄文また駄文。僕の気分転換と思ってご容赦くださいませ・・・

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