嫁がうつになりまして。~うつ病ママとその夫の記録

うつ病および統合失調症の嫁と暮らすアラフォー夫視点の日常の記録

うつ嫁との生活はダブルワークみたいなものだ

嫁がうつになりまして、今年で10年経過する。
メンタルの病について僕は詳しくないけれど、嫁の状態は10年眺めてみると、結構波がある。それでもまあ、何とか定期的に通院することが定着した近年は、その波も少ない方か。それにしても、もう10年にもなるか。何だか疲れた感じがするのは気のせいだろうか。

僕の暮らしはダブルワーカー

いつかここにも書いたけれど、僕は意図的に病気について知識を仕入れないようにしている。僕がしっかり知っておくことは、嫁の日常におけるコンディションと主治医の先生による注意事項だけだ。それ以外は、おそらくメンタル疾患の基礎知識もないのではないかと思う。

そのせいか、嫁がうつ病になっても最初の数年は僕が特に何かをしてあげるということはなかった。本人が頑張りたい人間なので、頑張りが利く限りは特にサポートすることはなかった。本人もそれは望んでいなかったし、基本的に本人の意志を重んじたつもりだ。それがいいのかどうかは、今もってなおよくわからないけれど・・・

最初に「ああ、手助けが必要なんだな」と思ったのは、嫁がうつ病になって何年か経った頃。色々あって自殺未遂も数回起こしていて、今思えば状態が最も酷かったときだ。警官や消防隊、医師など色んな方向から怒られて方々に頭を下げたのを覚えている。この時は通院すらまともにおこなっておらず、いったいこれからどうなるんだろうと思った。

数年前から、嫁は定期的な通院が身につき、仕事も完全に辞めて療養重視の生活スタイルに入る。そこから、僕は嫁の状態に応じてできることは何でもやるようになった。嫁は酷い時、1日寝ていることもある。そんな時は、僕が仕事から帰ってから主に家事全般だけれども、片付けることになる。これが何気に結構な労働量で、さながら僕はダブルワーカーのようだ。お金は出ないけど。

幸い、近年子どもらもちょっとずつ自分たちのことは自分で片付けられる年齢になってきた。なので、以前ほど手がかからない。それでもまあ、学校にかんすることなど僕がかかわることはいくつかあるのだけれど。しかし、確実に面倒を見なければならない事柄は減った。これは大変助かる。特に上の子である娘は、普段はだらしないけれど肝心な時には手伝ってくれるので、非常に助かる。物心ついたときから母親が病気だということを認識していたらしい。

うつ嫁との暮らしで僕が得たもの・失ったもの

嫁がうつ病になったのは、どこかに書いたけれど多分に僕の責任でもある。というのも、嫁がうつ病認定される前後の頃、僕は連日深夜まで働いていた。とにかく職場で頭角を現したく、目の前のことは何でもやっていた。無駄なことも多かったけれど、それで出世していけることがわかっていたので、できることはおそらく何でもやっていた。しかしそれは、息子の新生児時代の記憶がないという事実に気づいたことで価値観が崩壊する。

それから僕は仕事を辞めた。時既に遅しで、嫁はメンタルを病んでいた。そのうえ、近い時期に嫁の母上が倒れて要介護の人生となった。僕はここで、仕事に対するスタンスを180度変えた。どうせ途中下車してしまったし、もう出世などは望めない。だったら、仕事はソコソコやって適当に早く帰ることを優先し、家族との時間を重視するようになる。当然収入が頭打ちになるので多少生活は苦しくなったけれど、家族との時間はプライスレスだ。特に悔いはない。出世し損ねてしまったけれど、この選択はまあ間違っていないとは思う。他にもやりようがあったかもしれないけれど、まあしょうがない。

嫁が重症化することと比例して、僕の出番が多くなる。学校および役所関連のことは全て僕が対応するし、時には嫁と一緒に病院へ行き先生と面談したりもする。家事は、そもそも独り暮らしをしていたので慣れているから問題ない。それまでの生活に比べると、格段にマルチな人間になったものだと思う。まあ疲れやすいのはしょうがないとして。

今の生活スタイルになって得た一番のものは、良くも悪くも家族と関わる時間が大幅に増えたことだろう。失ったものといえば僕の些細な野望程度のもの。出世していく元同僚たちと同じ空間で働くのはちょっぴり屈辱だけれども、家族と色んな体験をできることに比べたら屁でもない。唯一の不安は経済面だけれども、何とかなるだろう。ちなみに嫁は、「どうせお父さんが先に死ぬんだし、遺産が・・・」などと不謹慎かつ暢気なことを言っている。まあ、お金のことで嫁が汲々としていないのは助かる。


実は、将来的に経済的に窮しないように副業もチャレンジしたことがある。けれど、さすがに本業・家事育児・副業と3つをひとつの身体でこなすのは無理があったのでやめた。いつまでこのダブルワーク状態が続くかわからないけれど、無理をせずのんびり過ごすことにしている。

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