嫁がうつになりまして。~うつ病ママとその夫の記録

うつ病および統合失調症の嫁と暮らすアラフォー夫視点の日常の記録

嫁がうつ病と診断されたとき。

実は、嫁がいつどのタイミングでうつ病と診断されたかについて、時期も場面も覚えていない。
最近嫁にあらためて質問したこともあるが、どうやら嫁自身も覚えていないようだ。
自分の記憶の整理も兼ねて、うつ病と診断されたであろう当時の私と嫁の様子を書いていきたい。

当時の嫁の様子

当時、嫁は現役の幼稚園教諭だった。2番目の子どもが生まれた年でもあった。
その職場では、妊娠したら退職しなくてはならない空気だったと聞いている。上の子のときに嫁はこれに反発し、産休&育休を取得している。曲がりなりにも学校法人だったので、そのへんの権利は主張されたら拒否はできなかったのだろう。しかし、2度目はなかった。
嫁は出産間近の学期末のタイミングで退職し、出産と育児に専念することになった。
僕も可能な限り休みを取り、特に出産前後は嫁が入院中なので上の子(娘・3歳)の面倒をみた記憶がある。

しかし、後述するように私は当時、社畜まっしぐら・絵に描いたような働きぶりだったので、自宅には深夜に寝るためだけに帰るといった日々を過ごしていた。そのため嫁が独りで2人の子どもの面倒を引き受ける破目になった。
今思えば、その時もう既にダメだったのかもしれない。

当時の僕の様子

僕は当時、平社員から主任クラスに出世したこともあって仕事ではやる気に満ちていた。
会社の運営が悪かったために、常に人手が足りず僕がフル回転していた。そのため、上述のように連日深夜まで働く破目になっていたのだ。
しかし僕は、自分で書くのも恥ずかしいのだが当時は出世コースに乗っていた。ここで頑張れば、同世代で頭ひとつもふたつも抜けだすことができると思っていた。
朝は家族が起きるより早く出勤し、夜は日付が変わる前に戻ることはなかった。休日出勤も当然あり、僕は家にいるときは殆ど寝てばかりいたような気がする。拾える仕事は全部こなしていたし、今思えば絵に描いたような社畜ぶりであったと思う。

そんな生活を繰り返していたためか、この年に生まれた下の子(息子)の新生児のときの記憶がないことに気がついた。そして、嫁が明らかにおかしくなっていたのだろうが、それにもあまり気付けてやれていなかったと今はそう振り返る。どちらにしても、家族としてはおかしい状態だった。

そして嫁はうつ病と診断される

僕がこんな、家庭を顧みない生活をしていたため、嫁は今思えば育児ノイローゼだったと思う。当時の私は、そんなことにも気を回せないほど馬鹿みたいに働いていた。みたい、ではなく本当に馬鹿だったと思う。

僕は生まれてから半年近く、息子に対しての記憶が殆どないことに気がついた。

そこで、何か気持ちが切れたのを感じた。

家族との時間を犠牲にして出世したとして、いったいその先に何があるのだろうか。
そう思い至った結果、その年のうちに僕は仕事を辞めた。
どうして会社のために馬鹿みたいに働いていたのだろう。それまでの自分を全否定したくなった。

だけど、僕が仕事を辞めたところで、どうやら手遅れだったらしい。
おそらくこの、僕が仕事を辞めた前後だったと思う。嫁がうつ病と診断されたのは。
僕はこれについて、自分のせいだと思っている。僕が仕事ばかりしていて家族を気にかけず、嫁が病んでいくのを見過ごしたからだと今でも悔やんでいる。
嫁は「それは関係ない」と否定するが、全く関係ないわけがないだろう。
これは僕にとって、一生の不覚・痛恨事と言っても言い過ぎでない出来事となった。

それとそう遠くない時期に、嫁の母が倒れた。出先でのくも膜下出血だった。
これも嫁の病状を加速させた。
こんな状況ではのんびり就活しているわけにもいかず、僕は元の職場に平社員として出戻った。
というわけで、今も同じ職場にいたりする・・・
遅まきながら、出世なんてどうでもいいから家庭重視の生活スタイルに変貌を遂げることになるのであった。

嫁はどうしてうつ病になってしまったのか

ところで、嫁はもともとパニック障害持ちである。
そして、僕と出会う前の話だが幼なじみの死に直面した経験がある。この経緯はそのうち気が向いたら書こうとは思うが、この出来事により嫁は、人の死というものにものすごく神経質になったらしい。

そこへきて、今度は実の母が生死の境を彷徨った。実際、病院に運び込まれた直後は医師に「ほぼ生還は無理」と言われたくらいだった。ちなみに嫁の母は、その後命を取り留めて1か月ほど植物状態だったのだが無事に意識を取り戻した。障害は残ってしまったものの、命が助かっただけでも奇跡レベルらしい。

この経験が、身近な人の死に敏感になっている嫁のメンタルをさらに蝕んだのは私でも想像がつく。冒頭に書いたように、嫁も僕も具体的にいつうつ病と診断されたのか覚えていないのだが、この頃にはハッキリと嫁はうつ病と診断されていた。

そんな経緯もあり、嫁が人に入れ込みやすい人柄なのもあり、ともかく嫁はメンタルを病んでしまった。そして、これが今なお続くうつ病ほかメンタルの病との闘いの始まりとなった。



記憶の整理になったかどうか甚だ怪しいが、とにかく僕にとっては痛恨の極みであることは間違いない。これを挽回するには、トコトン嫁に付き合うべし、と腹を括ったのは言うまでもない。

こうして書いていると、悲壮感タップリな感じになってしまう印象かもしれないが、実はそこまで悲観的でもなく日々比較的楽しく過ごしているということも付け加えておこう。

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