嫁がうつになりまして。~うつ病ママとその夫の記録

うつ病および統合失調症の嫁と暮らすアラフォー夫視点の日常の記録

うつ嫁 暴言の特性。

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実はこのごろ、ちょいちょい嫁とは口論になっている。まあ、この10月は矢鱈と雨が多く、嫁のコンディションもいつも以上によろしくないのだろう。

嫁の暴言や人格否定などがどんな感じなのかは、以下のエントリにて述べている。


hiroiaozora.hatenablog.jp


うつが酷いときや寝不足、それに嫌なことなどあったりすると、とにかく「口撃」が半端ない。酔いの力も手伝って、僕はケチョンケチョンに貶められる始末。僕も人間なので、真に受けちゃあいけないのはわかっているけれど、ついつい「売り言葉に買い言葉」で応戦してしまい、言い合いになった末嫁が発狂して終わるという。これ、本当に疲れるんだ・・・

僕が安定していればこういうことも回避できるのだけど、生憎僕は困ったことに日に日に弱っていっているような感じである。感情面でも全くもって不安定であり、ちょっとしたことで怒ってしまうようなことも増えた。これじゃあいけないんだけどね、どうにもショックが大きくて・・・未だ尾を引いている状態。なので、余計に気分の悪いことになったりしている次第である。

けれども、何回か繰り返しているうちにいくつかの特性らしきものに気がついた。なので、ちょいとメモっておこうと思う。

ウチの嫁の場合、暴言について以下のような特性があるようだ。

・本音が出る(本人は否定)
・パニック状態なことが多い(たまに過呼吸を起こす)
・とにかく全否定(対象は僕)
・自己中な発言満載
・落ち着いたあとでも言ったことを覚えている

だいたいこんなもんだろうか。追加があればまた加筆するとしよう。

最初に挙げた「本音が出る」というのは、本人は否定している。嫁曰く「思ってもいないことをバンバン言ってしまう」だそうだ。まあ、言い方が支離滅裂なので、そのとき出てきた感情全てを順番構わず僕に投げつけているのだろうと推測する。

一番意外に思ったのは、最後の「落ち着いたあとでも言ったことを覚えている」。だいたい暴言を吐くときは状態が悪く、いい確率で酔っ払っているので、記憶に残っていないと僕は思っていた。が、口論した翌朝、言ったことを撤回して謝罪しに来るというシーンもあったりする。あんな状態でも、自分の発言を覚えていたのは驚きだ。

なお嫁の暴言について、言い方そのものはそこまで攻撃的ではない。嫁のママ友にも同じように、調子が悪いとダンナに暴言を浴びせる奥さんがいるけれど、彼女の場合はもっと口が悪いし畳み掛けてくる。ダンナ君は鷹揚で心の広い人物なので何とかなっているけれど、僕なら轟沈間違いなしだな・・・


上でも書いたけれど、この暴言を浴びるのが一番疲れる。これを何回も食らっていると、僕サイドとしても「もうだめかもわからんね」となってしまう。いや、真に受けちゃあいけないのは重々わかっているけれど・・・

【悲報】J氏、主治医に死亡宣告される。

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このブログを継続して読んでくださっているという奇特な方なら理解していただけると思うけれど、うつ嫁との暮らしに疲弊している僕は、言わば「死に体」である。僕自身もなんだかこのごろ、本当にヤバイんじゃあないかと思っているくらいだ・・・


さて、表題の件。
このごろ、コメントや個人的なメールにおいて数々の心配をいただいている。まあ、コトがコトだけに僕も結構しんどい日々を送っているし、またそれをいちいちここにメモしているので、傍から見ればかなり危ういのだろう。実際、僕も身の危険を感じてはいる。だけど、どうにもならないこともあるんだ。それでも僕は、嫁がいる方がいいと選択したんだ。多少の心労など、乗り越えなければならない。

そんな悲壮感漂わせている状態で嫁の主治医の精神科医に久々に会ったせいか、嫁は先生に「ご主人、死ぬわよ」と言われたようだ。生憎僕はそれをナマで聞けなかったけれど、やっぱり精神科医から見てもおかしいらしい。やれやれだぜ・・・


そもそもこの日は、嫁の受診日。嫁からは最近通院は月1と聞いていたけれど、どうやら(主治医の先生がいる日であれば)いつ受診してもいいらしい。ただ、嫁が行く気にならないので、辛うじて月1で通っているということらしい。僕はかつて、数回に1回は仕事を休んで随伴していた。近年忙しさにかまけてそれを怠っていたが、こんなことになってしまった。その反省を込めて、約2年ぶり(だと思う)に随伴して嫁の通う病院へと足を運んだ。

久しぶりに嫁と先生が話すのを間近で聞いた。時折僕も話に混ざりつつ、嫁の最近の状態・考えていること・困ったこと等々話が流れていく。嫁の主治医の先生は結構辛らつな言い方をするので、久しぶりに聞く僕は横でたまにヒヤッとしながら時間を過ごした。やっぱり直接嫁と先生とのやり取りを聞く方がいい。疑問があればその場で質問できるし。これからも、慢心せずにできる範囲で随伴してやりたいと思った。

先生はもちろん、嫁がしてきたことを知っている。特に嫁の「仕事」については、立場上強制はできないものの、話の端々ですぐに辞めるような願いを込めた話し方をしている。そして僕も、知っていながら辞めさせられない理由や、嫁とどうしていきたいかなどを伝える。言うまでもなく、僕が疲弊していることもわかっているようだ。嫁から聞いていただろうし、実際僕を見て話をしてそう思ったのだろう。

最後のほうに、嫁が先生とふたりで話をしたいと言う。僕は退出し、少しばかりの時間嫁は先生と話をして出てきた。そのとき言われたのが、僕への「死亡宣告」だったらしい。何しろ「先生とふたりで話したい」時間のことなので、詳しくは聞いていない。けれども、どうやら今の状況を続けたら・・・ということらしい。僕が心労で死ぬのか自殺するのかはわからない。とにかく、精神科医から見て何かヤバイものを感じたようだ。「潰れる」という表現をされたことはあるけれど、「死ぬよ」とダイレクトに言われたのは初めてかもしれない。まあ、個人的に言ってしまえば僕は、子どもらが巣立ったらあとはいつ死んでもいいとは思っているけれど・・・何だか非常にきっつー。


とまあ、おふざけなタイトルにしてしまったけれども、精神科医の先生に危ぶまれるくらいだとは思っていなかった分ショックかな。僕は嫁が居る限りは、できることはしていくつもりだ。嫁には色々と拒絶されて非常にきっつーな状況ではあるけれど、嫁が自発的に去っていかないのなら、嫁にだってみんなで一緒にいたい気持ちはあるのだろう(本人いわく「わからない」・・・)。さすがに疲弊しているのは自分でも感じているので、倒れないように自分に気配りをしていこうと思う。

あんまり関係ないけども、メールでやりとりさせていただいている方から、僕が「エンパス」「HSP」じゃないか? とご指摘をいただいた。どうだろう・・・?

うつ嫁と付き合いだして20年を祝ってみた。

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今回は、別に嫁の病気にかんするネタではない。
画像のこの不出来なケーキらしきものは、僕J氏の自作品である。

以前にもケーキらしきものを作ったことがあるけれども、こういうときは己の手先の不器用さを心底呪いたくなる。まあ、いわば「戦時急造品」なのでやむを得ない部分があるんだけどね(運動会の準備のさなかに作ったので)。本人にダメ出しされずに食してもらったのが救いだ。

なお、言うまでもなくこれはウチのうつ嫁への献上品である。うつ嫁と一緒にいて20年。前にも書いたけれど、付き合いだしたのが嫁の誕生日なので、嫁の誕生日=一緒にいて●周年ということになる。今年は20年だし、何かプレゼントしないのもアレだし、けれど忙しいし・・・ということで、苦肉の策として自作ケーキもどきを差し上げたのであった・・・

思えばこの、うつ嫁にかんするブログはそもそも嫁が書いていた旧ブログが原点。2008年からだったかな。嫁はいくらもしないうちに挫折したけれど、当時HNを「なんな」と称していた。これは一時期、僕が嫁をそう呼んでいたことがある愛称でもある。僕を愛してくれた嫁の愛称でもある。何となくそれを思い出したので、ケーキもどきにも「NANNA」と入れてみた。



さあ、ケーキのことはもういい。
それより、せっかく20年になるので記念にお出かけしてきた。それについてメモしておこうと思う。

今年は、たぶん近年にしちゃあよく嫁とふたりで出かけていると思う。子どもらも放っておいて平気な年齢になってきているし、嫁とは近年関係がよくなかったし、まあその・・・昔を思い出しつつ、(もう僕が愛した嫁はそこにはいないけれど・・・)また楽しくやっていけたらなあ~という思いを込めて、意識的に嫁と出かけるようにしているんだ。

今回は、フツーに食事して散歩する程度のお出かけをしてきた。いや嫁の調子が思いっきり悪くて、その日嫁は夕方まで起きてこなかった。こうなったら延期しようと思っていたんだけど、嫁が「出かける」というので、もう辺りは暗くなってきてしまっていたけれど、予定どおり出かけた。

食事には、以前から嫁が目をつけていたというお店に行った。そこは天ぷらの美味しいお店だったけれども、どうやら嫁にしては珍しく、僕のことを考えて目をつけていたと言う(僕は天ぷら大好きなので)。そこでダラダラノンビリと食事をし、楽しく過ごした。とりあえず嫁は、思いっきり寝たので機嫌は悪くなさそうだ。

その後ちょいとドライブをし、嫁曰く「僕が告白をしたという場所」へ行って歩いてきた。そこは照明の明るい橋の上であり、近所には商業施設や観覧車があり、ちょいと先にはヘンな球体がある建物とか、フネのカタチを模した建物なんかのある、海の近い場所なのだ。

そこは、20年の間に周囲の景色が結構変わってしまっていた。なおプロポーズもそこでしたらしく(僕は全く記憶に無いw)、たぶんそこ自体を訪れるのはそれ以来だったと思う。なので景色が一変しているのは不思議じゃあない。だけど、その橋を含む小道そのものは、20年前と何ら変わりはなかった。

その橋を見て思った。この橋、いわば嫁と変わらないかも、と。嫁は20年前から比べて、大きく変わってしまったように思える。しかし根本的な部分では、やっぱり変わっていないのかな、と。外観や周囲がどんなに変わってしまっても、それでも嫁は嫁。この橋のように、変わっていないものなのかもしれない。僕は近所の観覧車からその橋全体を視界に収めつつ、そんなことを思った。

ちなみにその場所とは、たぶん特定が簡単な場所だ。そのまま表記するのも照れ臭いしつまらないので、敢えて名前を出していない。たぶん、わかる人にはすぐわかると思うけれど・・・海だの橋だの観覧車だの言っていれば、まあ簡単だよねw



そんなこんなで肌寒いなか、2~3時間ほど歩いたり観覧車乗ったり食事したりして過ごした。まあ、近年珍しくなったけど、普通にデートだね。嫁にはこの際色々言っておきたいこともあるし、いい時間だったと思う。嫁はどうだったかはあんまりよくわからないけど(あんまり楽しそうでない顔をしているときでも、実際は結構楽しかったり嬉しかったりすることがあるらしい)。

というわけで、別に嫁のうつ病ほかメンタル疾患は特に関係ないけど、まあうつ嫁10年選手やっている相方と無事20年一緒に過ごすことができ、また記念イベントをしてきたということをメモりたいだけの記事だった・・・

なお近日中に嫁の精神科へ久々に同行する予定なので、何かあったらここにメモしようと思う。

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