嫁がうつになりまして。~うつ病ママとその夫の記録

うつ病および統合失調症の嫁と暮らすアラフォー夫視点の日常の記録

うつ嫁と統合失調症。

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思えば僕は、うつ病以上に統合失調症という病気についての知識に乏しい。知っていることといえば、「かつては「精神分裂病」と呼ばれていた」「現在ウチの嫁が罹患している」ことくらいかな。ああ、主だった症状なんかは以前嫁の主治医の先生から説明を受けた。だから、大雑把にはどんな病気かは理解している。

ところで嫁は、5年前にそう診断が下った。しかし、どちらかというとうつ病の方が症状的に目立っていたように認識していたので、僕が統合失調症についてそこまで気に留めることがなかった。これがまあ、今回の個人的悲劇に繋がったわけだけども・・・

診断が下った当時、嫁の主な症状としては「幻覚・幻聴」だけだったと記憶している。診断書や、医療機関に提出する書類なんかでもそれは確認している。なので、思い浮かぶ症状はそれしかなかった・・・けれど、思い返してみるとそれだけじゃあなかったことがわかる。

統合失調症と診断されて以降、嫁には以下のような特徴が出るようになってきた。まあ、嫁の場合はうつ病も併発しているので一概に以下のものが統合失調症だけの特徴とは思わないけれど。

・作業が遅い、能率が上がらない
・マルチな作業ができない
・論理的な思考ができない
・(自分が必要と感じた以外の)身のまわりのことができない
・自分勝手な言動が増えた
・意欲減退(これはうつ病のせいかもしれないけど)
・それまでの趣味の大半に興味を失くす
・短絡的な行動が増えた、行動に歯止めが利かない
・僕への暴言・人格否定発言が出るようになった
・(うつ病になっても得意だったはずの)お金の管理がおろそかになってきた

思い当たる節を列挙してみると、だいたい以上のようなものだ。嫁の場合、うつ病や不眠が加わっているので結構面倒だ。それに、年月とともにこうした特徴が増えてきているというのは、やっぱり本当に脳みそが萎縮しているんだろうな・・・と悲しい気持ちになる。でも、先生はそれについて何も言ってなかったな。

以下、どこまで統合失調症がかかわっているか不明だけど、嫁が崩れていったさまをメモしておく。統合失調症の影響と思われる部分を中心に。


診断の下った2012年以降、当ブログでも記したけれど、嫁にはそれまでの「働いてナンボ」という考えを一旦脇に置いてもらい、完全療養に入ってもらった。好きに過ごしてもらい、家事はほぼ僕が引き受け(嫁が「やる」と言うもの以外)、とにかく日常の変なプレッシャーから逃れてくれるように生活してもらったつもりだ。

しかしそれもなかなか上手くいかず、とにかく「働いてナンボ」という考えの強い嫁は、働いて社会復帰をしたがり就職に励むのであった。いくつやったか覚えていないけれど、どれも長続きしなかったなあ・・・頭では、以前のように働けると思っているのだろう。しかし、嫁は最早、バリバリの幼稚園教諭だった頃の彼女ではないのだ。悲しい、きっつー。

なので、せっかくの療養生活もあまり効果なく終わる。嫁はそれでも諦めず、ちょいちょい仕事についていた。週に1日とかそんなペースだけど、働かなくちゃ落ち着かないのだろう。しかしいずれも上手くいかず。

それと前後して、夜遊びが増えた。療養生活に入ってからフィットネスに通い始めたのだが、これが主に夜の時間帯通っていた。そこから派生した友人たちと遊んだり旅行に行ったり。これはまあ、いいことだと思う。しかし、よい友達ばかりではないのが面倒なところ。

嫁は夜遊びが増えたのと比例するように、嫁の金遣いが荒くなったのを覚えている。嫁は(額は大したことないけど)年金を受給している。なので、遊ぶカネ程度なら困らないと思う。逆に言えば、好き勝手遊びに行ける状態なのであった。そもそも嫁は、お金にかんして非常にしっかりしていて、逆にお金に対してザルな僕のよきパートナーだった。しかしこのころから、それも崩れていった。

一時期、クレカでの買い物の便利さにハマッていたことがある。それで大人買いを繰り返した時期が、わずかながらある。もちろん、連日の夜遊びも健在。どう考えても、嫁の年金だけじゃあ足りないような・・・たぶん、貯金を食いつぶしていたのだと思う。情けないことに、家の金はまだ嫁に預けたままだ。だから、僕に明細はわからない。貯蓄については、嫁からたまにざっくりと報告をもらうだけだった。このとき何とかしていれば・・・と後悔。でも、それだけお金にかんしては嫁を信頼していたんだ。しょうがない。

そして、再び働くことを希望しだす。このころには既に、悪友どもによってパチンコを趣味としていたので、お金がなくなったのだろう。やけに焦っている感じがした。キャバ嬢を目指すもアッサリ挫折したことはどこかで触れたけども、とにかく短期間でガッツリ稼ぐという思考だった。従来の堅実な嫁からは、考えられない思考である。僕は既に、嫌な予感がしていた。でも、止めて言うことを聞く嫁じゃあない。

お金に焦りだした時期は、ちょうど浮気をしていた時期でもある。子持ちであることをカミングアウトして轟沈したらしいけれど、それまでは本人いわく「はたから見たら普通にラブラブのカップル」だったらしいから、相当親密だったと思われる。それでも嫁いわく「身体の関係は無い」とのことだけども。僕の知るところじゃあない。というか、そこまで夫に話すか? と思ったけれど、こういう無神経な言動も統合失調症の一部らしい。それは知らなかった・・・なお現在、この一件については「何でああなったかわからない」とのこと。

その後破局(?)して浮気は終わったらしいけれど、その後少しの間大人しくしていたと思ったら、今度は何とかマッサージとかいうものに手を出していたらしい(一瞬でやめたのと、後で聞いたので、らしいとしか言いようがない)。この辺になると、上で挙げたように、本当に嫁らしくない短絡的な行動が目立つ。

時間と共に、何とかしなくっちゃ・・・という思いを勝手に強くして思いつめ、とうとう落ちるところまで落ちた(本人の表現)。大事な一線を越えることにたいして、(本人は非常に辛く苦しかったようだけど)いとも簡単に僕らとお金とを天秤にかけて、お金を選んだのは聞いてショックだった。行為もだけど、その思考に。そして今なお、「稼がなくちゃ」と言って自宅を空けている。その尋常じゃあない焦りっぷりに、僕は嫁が貯金を食いつぶしたものと推測している。だって、通帳とか見せてくれないし。そういえば、お父さんに借金したって言っていたなあ・・・何か僕に言えないような遣いかたでもしたのだろうか。まあ、勘繰ってもしょうがない。なくなったものは、なくなったのだから・・・誘導尋問の結果、どうやら預貯金を使い果たしたようだ。おお、もう・・・


こうして思い当たるできごとを並べてみると、確かに嫁は、確実に統合失調症の諸症状にやられているのがわかる。もしかしたら、焦りの原因に幻聴とかがあったのかもしれない。嫁に聞いても不明だけども・・・というか、嫁はまだ何か「隠し玉」をしているように思えて、僕は嫁にモノを訊ねるのが怖い。連日の夜遊びからの浪費・浮気淫行・・・次は何だ? 僕は非常に悲しい。でも、これも嫁の一部ととらえて、受け止めていくしかないのだろう。生きていてさえくれたら、僕はそれでいい。

僕の統合失調症への意識の低さから、色んな事態を招いてしまった。僕は今回の一連のできごとに深く反省し、ブログ開設当初あたりの「あまり病気にたいする知識を深めない」という方針を撤回することにした。それで統合失調症について調べていたら、嫁に結構思い当たる節があったというお話。ダメな夫だねw 嫁が不憫でならないよまったく・・・


関係ないけれど、僕はとうとう体調不良になってしまった。何かしていないと嫁がチラついて苦しいので、こうしてブログを書いてまとめて気を紛らしている次第。昼間までは元気だったので、たぶん得意先あたりで何かもらってきちゃったかな。

うつ嫁の病歴その他プロセス

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僕はてっきり、嫁がうつと診断されたのは2005年だと思っていた。けれど、嫁が言うには2006年の夏だという。ちなみに何故2005年かというと、病歴の一番最初が2005年3月だから。息子が生まれる、直前のことか。もう12年も前のことなんだな・・・

こういう思い違いが結構あるっぽいので、個人的にウチの嫁の病歴は主な病気にかかわる出来事など、覚えている限り時系列にまとめておこうと思う。

うつ嫁の病歴その他プロセス

2005年3月:パニック障害診断

2006年3月:J氏、平社員になる。元祖ワークライフバランス(笑)

2006年5月ごろ:嫁の母、くも膜下出血で意識不明に(8月終盤に意識回復)

2006年夏ごろ:嫁、うつ病と診断

2007年:嫁、仕事復帰

2008年3月:J氏、顔面負傷→1週間入院。嫁を憔悴させてしまう。

2009年秋:嫁、自殺未遂を繰り返す(近所でモメた)

2010年:勤務先の幼稚園退職。最後はおかしくなりバックレになる(僕が荷物等引取りに行った)

2012年3月:J氏、現主治医と初の電話会談。主治医が今の先生になる(時期は不明)。

 このあたりから、嫁は定期的に通院するようになる。

2012年4月:嫁、完全療養生活スタート。統合失調症診断追加、精神障害者手帳取得。

 同時期、J氏母死去。嫁は葬式の場から病院へ直行する破目に。

 フィットネス開始。仲間に恵まれる。

2012年6月:旧うつ嫁ブログ執筆開始。

 この頃から家事をしなくなる→J氏、兼業主夫化の始まり。

2012年11月:嫁、リストカット企図

2013年1月:嫁、職業訓練にチャレンジ(筆記ができず挫折)

2013年3月:嫁、胸腺嚢(きょうせんのう:悪性腫瘍のひとつ。手術して切除するには、胸を切らねばならない)発覚。なお腫瘍ではなかったので手術は回避。

2013年春以降:嫁の職業チャレンジが始まる(挫折)

2013年夏:嫁の伯父、死去

2013年11月:当ブログ開設

2015年2月:嫁母、死去

2015年7月:嫁、胃腸の不調で入院(結局メンタルの問題だった)

2015年後半:このころから夜遊び増加、僕と険悪になっていく。

2016年初頭:「働く」「お金」で騒ぎ出す

2016年8月:嫁の浮気カミングアウトにJ氏粉砕される。

2017年1月:子宮頸がんの疑いで検査。とりあえず入院回避。

2017年8月:嫁のアレにJ氏、若干おかしくなる←今ココ。



※当ブログ開設以降は、簡略にした。

嫁がいなくなってしまいそうな気がしてならない。

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今僕は、酔っ払っている。嫁のアレが発覚したあと、毎日酔っ払っている時間ができてしまった。何でかわからないけれど、勝手ながら、最近やけにタイトルどおり嫁がいなくなってしまうのはないか・・・という大きな不安、どうしようもない淋しさに苛まれている僕である。今回は、そんな僕の懺悔である。なお酔っ払っているので、誤字脱字や散乱した文章になることを最初に断っておこうと思う。


嫁が自分を売る。そこまで追い詰められていたことに気づかなかったことに、僕は大いに悔いている。最近酒を呷るようになった嫁だけど、それだけ苦痛だったんだ。僕は話を聞くまで、わからなかった。時には手を焼き、時にはヘイトを募らせ、時には僕を憔悴させて・・・本当に手のかかる嫁。しかし、それが僕の一番好きな人なんだ。今更すごく実感している。

思うに、僕に黙って自分を売るという決断をしたのは、相当悩んだに違いない。それに気づかずに僕は、嫁をぞんざいに扱っていたと思う。どんな思いでそこへ辿りつき、どんな思いでそれに慣れていったのかを思うと、僕は20年ぶりに涙が止まらない。個人的に「日本男児は涙を見せちゃあいけない」というポリシーのもと、ここ20年一切泣くことがなかった。5年前に母が亡くなったときも、僕だけは涙を流すことはなかった。そんな僕が、貯めた水を一気に放出したかのように、毎日涙に暮れている。それだけ、後悔が深いんだと思う。

思えば嫁は、果たして僕と結婚して幸せだったのだろうか。結婚して何年も経たないうちにパニック障害からのうつ病発症。本人が言うには、嫁のお母さんがくも膜下出血で生死の境をさまよったときにうつ病になったという。しかしその頃僕は、仕事に明け暮れて毎日午前様の生活を繰り返していた。まだ赤ん坊の息子を抱え、幼児の娘を抱え、嫁はどんなに苦しかったことか。そんな嫁がうつになり、好きで本職にしていた幼稚園教諭および保育士を断念せざるを得なかったことは、誰よりも嫁が一番無念だったに違いない。こんな奴と結婚して、嫁は果たして幸せだったのだろうか。

うつ病になってから11年。僕はどこか、嫁の病気と向き合うことから逃げていた。5年前に主治医の先生と話し合い、嫁に働くのをやめさせて療養に専念させたあとも、先生任せな面が大きかったと思う。反省しきりである。というか、今更遅い。自分が情けなくてしょうがない。

僕は思う。この先嫁は、ずっと薬漬けのまま一生を終えるのだろうか。そう考えると切なくて、申し訳なくて・・・僕がもっと稼いでいれば、嫁はこんなことにならなくて済んだのだろう(一応サラリーマンなので、そこまで稼ぎがないわけではない)。嫁が病気になっていなければ、こんなことになっていなかったのかもしれない。僕のフォローがもっとしっかりしていれば、嫁は病気にならなくて済んだのかもしれない。もう、ただただ今は後悔の嵐である。

今度主治医の先生に会って、確認してこようと思うことがある。嫁の病気についてのゴールだ。現状維持を続けるだけなのか、それとも治るのがゴールなのか。僕はこの先、嫁がどんだけ生きているかわからないけど、最後はやっぱりうつ病統合失調症から脱出して終わって欲しい。嫁に、少しでもいいから再び普通の女として生きてもらいたい。そうでないと、嫁が不憫でならない。いったい嫁が何をしたっていうんだ。先生には、それをしっかりと確かめたい。近年忙しさにかまけて、僕はすっかり先生にはご無沙汰してしまっていた。今思えば、逃げていたのだろう。

そして今更だけど、僕はもっともっと嫁を愛そうと思う。手遅れかもしれないけれど、こんな事態になってからじゃあ遅すぎだけど、僕はやっぱり嫁が大好きだ。可能な限り、一緒にいようと思う。今嫁にいなくなられたら、おそらく僕は腑抜けになってしまう。子どもらがいるのに、それはいけない。それに、それじゃあ嫁があまりにも可哀想だ。毎日嫁と会おう。毎日ハグしよう(嫁が友人宅などに外泊しているときは無理だけども)。

そういえば嫁に言われたことがある。先月末にカミングアウトされて以降、僕が気持ちを素直に言葉にしてくれるという。僕は特に意識していなかったし、何より事態を呑みこむのに数日かかってそれどころじゃあなかった。けれど、たぶんその時から何か不安だったのだろう。今更だけど、嫁にもっと素直に気持ちを伝えようと思う。そして、どんなやらかしをしようと生きてさえいてくれたらそれでいい。嫁のいいとこ悪いとこ全て、まるっと愛そうと思う。今までもそうしてきたつもりだったけど、足らんかったと思うので。

僕は今、毎日大変胸が苦しい。しかしそれ以上に嫁はもっと苦しいはずだ。人生で一番のピンチと言っても言いすぎじゃあない。毎日辛いけれど、そこは「堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び」頑張っていこうと思う。嫁が儚い笑顔を僕に向けて「どこにも行かないよ」と言ってくれるが、それが却って不安だ。僕はこの先、この苦しさを背負って生きていくことになるのだろう。それは試練であり、僕への罰だと受け止めている。

でも、自分のこうした考えや行為が全て「死亡フラグ」になるような気がして、余計に自分を追い詰めているような気がしないでもない。でも、何かしないわけにはいられないんだ。もし嫁がいなくなってしまったら、愛そうにも愛せないじゃあないか。今更ばっかりで自分を卑怯に思う。けれど、少しでも嫁に何かしてやりたいんだ。そのためなら、僕は壊れてもいいとさえ思っている。そうなったらそれもまた、罰だろうから。

死亡フラグといえば、最近やけに嫁が昔の思い出話をしてくる。これもまた、僕の嫌な予感を大きくさせている。本当にもう、僕はどうすればいいのかわからなくなってしまっている。嫁を失うのが怖い。どうしたらいいのか。誰か、助けて欲しいとさえ思う。まあ誰にも言えないけれども。みっともないし情けない。けど、お願いだから僕らから嫁を取り上げないで欲しい。


以上、うつ嫁の夫(酔っ払い)による、取り留めのない女々しい、しかし僕の素直な気持ちを述べた文章の羅列でした。

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